*日本との戦争*

オーストラリアと日本がかつて敵対する国であったということを知っていますか?
太平洋戦争のとき、オーストラリアを敵とする日本がオーストラリアのダーウィンを戦闘機で爆撃しました。この爆撃は60回以上も続き、オーストラリア人死亡者243人、負傷者350人をだし、地上の空軍機と港内に停まっていた艦船が壊滅。穏やかな時間が流れる街並みや、美しい自然は跡形もなく焼け落ちました。

*日本が初めて*

このダーウィンの攻撃は、オーストラリアに白人が入植して以来、初めて外国から受けた攻撃になりました。初めて攻撃を受けたオーストラリアのショックは大きく、何十年経った今でも心の奥深くに傷をもっている人たちがいます。 太平洋戦争で日本はダーウィン空襲の他に、シドニー港も攻撃しています。

*未来に向けて*

この戦争により、オーストラリアの日本に対する反日感情は悪化し、戦後も「日本には二度とオーストラリアに近づかないでほしい」と訴えるほどでした。今では親交の深いオーストラリアと日本ですが、こうした歴史があったということは忘れてはいけません。戦争という悲しみと怒りを両国がお互いに許し合い、悲劇を二度と繰り返さないという思いが現在のオーストラリアと日本の友好を強めています。

*カウラ*

太平洋戦争中、日本兵が捕虜としてオーストラリアのカウラに収容されていました。オーストラリア兵は衣食住を始め、全てにわたって捕虜を人道的に扱っていたのですが、捕虜になることを恥としていた日本兵は脱走を試みます。

1000人もの日本兵はほとんど何も持たず、ゲートの機関銃に向かって走り出しました。満月がこうこうと輝く満月の夜、カウラの大地は赤い血で染まりました。
現在カウラではこの脱走事件で命を落とした231人の日本兵の墓地を、オーストラリア人の手によって手厚く葬られています。墓地の近くには大きな日本庭園、そして桜の並木道。戦争を乗り越えた絆がここにあります。