〜植民地としてのオーストラリア〜
*イギリス植民地として*
さて、オーストラリアがイギリスの植民地であったことは有名ですが、理由は知っていますか? 実は犯罪者を収容させるための植民地だったのです。
時代は産業革命真っただ中のイギリス。工場の機械化に伴い多くの失業者が街にあふれました。貧しさのあまりに犯罪に走り、イギリスの牢獄は囚人でいっぱいに。困ったイギリスは新たな囚人を収容する場所としてオーストラリア大陸を選ぶのです。
*罪の重さ*
イギリスにあふれた囚人はいったいどのような罪を犯したのでしょうか。
それはわずかな金銭を盗んだ行為、1着の服、1枚のハンカチ、1枚の下着、1個のメガネ、1かけらの砂糖を盗んだ行為、女性の場合は貧しさのあまりにやってしまった売春など、これら全て死刑に値しました。その死刑を軽減する形でオーストラリアに送られたのです。
*イギリス人が初めてオーストラリアに住む*
750人の囚人男女を乗せた船がオーストラリアのシドニーに到着しました。イギリスから植民地開拓を任されたリーダーは、囚人を労働力として、何もない自然の土地を次々に開墾します。開墾は順調に進み、しかもシドニー周辺で多くの肥沃な土地が次々に見つかったことも幸いして、牧羊や農業がすぐに大成功!囚人さえも裕福な生活を送り始めます。その噂を聞いたイギリスの実業家たちは「俺も大きな土地で成功したい!!」と大きな夢を抱きオーストラリアへ渡ります。
*オーストラリアン・ドリーム*
囚人を島流しするためのオーストラリアは大人気スポットに。オーストラリアン・ドリームを求める沢山の男たちで賑わいます。その人口増加に伴い、イギリス人はシドニー周辺から奥へ奥へと開墾を進め、とうとうオーストラリア全土を完全制覇するのです。いつしかオーストラリアの人口は、囚人の数よりも夢を追って渡ってきた人々の数の方が上回っていました。イギリスは囚人のオーストラリア送りを中止し、ずっと蔑ろにしてきた植民地オーストラリアを格上げするのです。
*白豪主義*
植民地開拓が順調に進む中、オ−ストラリアで金鉱が見つかります。このゴールド・ラッシュによりたくさんのアジア人が金を求めてオーストラリアへ渡りました。あまりのアジア人の多さに驚いた白人は、オーストラリアがアジア人に支配されてしまうのではないかと不安を募らせます。その不安は次第に大きくなり、ついには
アジア人を排斥し、白人だけの国家をつくろうという政策が打ち出されます。この政策により、アジア人は簡単にオーストラリアへ入国できなくなるのです。その差別的な政策は1972年まで続きました。